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東京地方裁判所 昭和38年(刑わ)4503号 判決 1965年2月24日

被告人 南知秀こと南碩祐 外四名

主文

被告人南碩祐を懲役二年に処する。

被告人田上勇を懲役八月に処する。

被告人堀進を懲役一〇月に処する。

被告人鈴木秀夫を懲役一年に処する。

被告人内山勝春を懲役八月に処する。

各未決勾留日数中、被告人南碩祐に対しては一六〇日を、被告人田上勇に対しては四〇日を、被告人堀進に対しては五〇日を、被告人鈴木秀夫に対しては六〇日を、被告人内山勝春に対しては右刑期に満つるまでの分を、それぞれ右各本刑に算入する。

被告人鈴木秀夫に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

右猶予期間中、被告人鈴木秀夫を保護観察に付する。

訴訟費用中、証人小川一之に支給した分は被告人堀進の、証人遠藤貞夫に支給した分は被告人鈴木秀夫の、証人畠山利保、同本橋澄子に支給した分の各三分の一は、被告人堀進、同鈴木秀夫の、証人竹垣光敬に支給した分の各五分の一は被告人田上勇、同堀進、同鈴木秀夫の各負担とする。

被告人南碩祐、同内山勝春に対しては、各訴訟費用を負担させない。

理由

(罪となるべき事実)

第一、東京市城東区(現東京都江東区)南砂町四丁目地先の東京港公有水面約一四、三六三坪五合七勺は、国の所有に属し、昭和一三年一一月八日東京市が当時の東京府知事から公有水面埋立法による埋立の免許を受け、その後東京都(以下都と略称。)が右埋立権を承継し、その前後にわたり累次の埋立工事竣功期間の伸長許可を受けて埋立工事を施行し、同一九年頃には一応完成して土地として使用できるようになつていたが、戦争中であつた等の事情から竣功認可に至らず放置されていたところ、その後の台風や地盤沈下等の影響等で一部の土砂が流失したりしたため、同三七年二月都が株式会社平和島の出願に対し、残土投棄承認を与え、同社に土量二九、〇〇〇立方メートルをもつて同所の一部未完成区域の埋立工事を行なわせ、同年五月上旬頃には右工事が完了し、都港湾局埋立事業部の検査を経て右完了部分約二、三一八坪が都に引き渡された。都が右免許を受けた埋立地は、公有水面埋立法第二四条、第二二条(地方自治法附則第一三条)による竣功認可を停止条件として都が所有権を取得すべきものであるが、当時はまだ若干の浸水地帯があつたため竣功状態に至つていなかつたので、右認可申請はされていなかつたものの、すでに土地と認められる状態になつており、前記昭和三七年五月上旬頃は埋立権者たる都がその埋立地使用権に基づき、右土地全部を直接支配していた。被告人南は、小島興業社名義により前記株式会社平和島の工事を下請実施していた者であるが、同三七年五月上旬頃前記一部埋立地が都に引き渡された後も、都から残土投棄の承認を受けないのに勝手に埋立未竣功の低地帯に残土を投棄し、前記検査引渡済の土地の一部を含む土地を都に無断で他に賃貸占有させて侵奪して利を得ようと考え、ここに

(一)  松島仁奎こと尹仁奎と共謀の上、昭和三七年五月一二日頃右埋立地につき何らの権限を有しないのを知りながら、尹との間に右埋立地中西南部の約一、二四三坪七合七勺を同人に賃貸する契約を締結したうえ、その頃から同年七月頃にかけて尹においてその周囲に有刺鉄線を用いて柵を設け、その中の一隅に約三坪の木造亜鉛メツキ鋼板ぶき平家建小屋一棟を建築し、同土地内にエンジンスクラツプ等を運び入れ、もつて不法に同土地の占有を取得してこれを侵奪し、

(二)  金井源吉こと金東鎮と共謀の上、同年一一月二〇日頃前記埋立地につき何らの権限を有しないのを知りながら、金との間に右埋立地中国鉄越中島線南側中央部の約五六五坪七合五勺を同人に賃貸する契約を締結したうえ、その頃から同三八年一月下旬頃にかけてその周囲に有刺鉄線を用いて柵を設け、金においてその中に約七坪五合の木造亜鉛メツキ鋼板ぶき平家建事務所一棟及び約二〇坪四合五勺の木造亜鉛メツキ鋼板ぶき平家建倉庫一棟を建築し、同土地内に古自動車等を運び入れ、もつて不法に同土地の占有を取得してこれを侵奪した。

第二、被告人南、同堀、同鈴木、同内山は、水本聖と共に昭和三九年六月一二日午前二時三〇分頃同都江東区深川洲崎弁天町二丁目一四番地釜めし屋「おしげ」にいたところ、同店前路上を竹垣光敬(当時一九才)、畠山利保(当時二二才)、内海寿克(当時一九才)、三輪文則(当時一九才)、室谷功(当時二一才)、小川一之(当時二〇才)らが放歌などしながら通りかかつたので、被告人堀において同店内から「うるさい。」と怒鳴ると、竹垣が「何をこの野郎。」と言い返えしたため、腹を立てた同被告人がビール瓶を持つて店外に飛び出すや、被告人鈴木、同内山、同南及び水本もこれに続き、ここに右各被告人は、水本と互いに意思を通じ、同店前路上で被告人南において室谷の股間を蹴上げ、被告人堀、同鈴木、同内山及び水本においてビール瓶や手拳等で右畠山、竹垣、三輪、小川らを殴打するなどの暴行を加え、よつて畠山に対し全治まで約一一日間を要した左前額部、右側頭部各挫創等を、室谷に対し全治まで約二日間を要した左鼠蹊部挫傷を各負わせ、さらに、右被告人らの暴行に恐れをなして同所から西方約四十数メートル離れた同所同番地株式会社荒井製作所洲崎工場西北角路上に駐車中のタクシー(運転手松下英治)内に逃げ込んだ畠山、竹垣、内海、三輪、小川を追つて同車附近に向かい、折から前記暴行半ば右水本に「田上を呼べ。」といわれて連絡に赴いた被告人内山からの喧嘩だとの旨の知らせを受け右タクシー附近に駈け付けた被告人田上も加わつて、右各被告人らと互いに意思を通じ、寺島美代子らに引き止められて同所に至らなかつた被告人堀を除くその余の被告人及び水本において、引き続き竹棒、木棒等をもつて同車外から、車内に腰掛けていた竹垣、内海、三輪、小川の肩、背、腰部等を突き、右暴行に耐え兼ねて車外に出た小川、内海の背腰部を殴打する等の暴行を加え、よつて竹垣に対し全治まで約八日間を要した後頭部挫創並びに右肩部擦過傷及び挫傷(被告人田上については全治まで約一週間を要する右肩部擦過傷及び挫傷のみを認める。)を、内海に対し全治まで約一週間を要する右腰部挫傷を、三輪に対し全治まで約一週間を要する右顔面、耳介挫創背部挫創及び挫傷を、小川に対し全治まで約一週間を要する左腸骨部挫傷を各負わせた。

第三、被告人鈴木は、昭和三九年五月一六日夜水本聖と同都江東区深川州崎弁天町二丁目飲食店「とんかつ上海」附近路上を歩いていた際、顔見知りの遠藤貞夫(当時二四才)と遭い、共に前記「おしげ」近くのバー「凡十」でビールを飲みながら、同人に対し、同人の友人横塚某をすぐ呼んで来てくれとの旨頼んだが、遠藤が渋つて容易に応じなかつたのみならず、翌一七日午前二時頃「凡十」を出て程なく同町二丁目前記「とんかつ上海」附近でタクシーに乗つた遠藤から「がたがたいうとぶつ刺しちやうぞ。」と言われたため、被告人鈴木は、腹を立て、ここに水本と互いに意思を通じ遠藤を右タクシーから降ろさせて同町一丁目九番地附近路上まで連行し、同所で交々手拳で同人の頭部等を殴打して暴行を加え、よつて同人に対し入院加療約六日間を要した後頭部挫創兼脳震盪症兼顔面前頭部打撲症を負わせた。

(証拠の標目)(略)

(累犯加重の原因となる前科)

被告人南は、いずれも東京地方裁判所で(一)昭和三二年三月四日傷害、恐喝、同未遂各罪により懲役一年六月の判決言渡を受け、控訴して棄却され、上告してこれを取り下げ、同三三年三月五日確定し、同三四年二月二日右刑の執行を受け終わり、(二)同三五年一一月三〇日傷害、外国人登録法違反各罪により懲役六月に処せられ、同三六年五月二九日右刑の執行を受け終わり、

被告人田上は、(1)昭和三三年九月一一日墨田簡易裁判所で賍物牙保罪により懲役一〇月、罰金二、〇〇〇円、三年間懲役刑の執行猶予に、(2)同三四年四月二二日東京地方裁判所で恐喝未遂罪により懲役一年、三年間執行猶予、付保護観察に、(3)同三五年五月七日東京地方裁判所で強姦未遂幇助罪により懲役一年に各処せられ、(1)(2)の各執行猶予は、各同三五年八月一〇日取消、同月一七日確定し、各刑の執行を受け、(1)の懲役刑は、同三七年一一月六日に、(2)の刑は同三八年二月一一日に、(3)の刑は同三七年一二月一一日にそれぞれ受け終わつたもので、右各被告人にかかる右各事実は、右各被告人の当公廷における右供述、検察事務官作成の被告人南にかかる昭和四〇年二月三日付前科調書、被告人田上にかかる前科調書により、それぞれ明白である。

(弁護人らの主張に対する判断)

被告人南及びその弁護人重田九十九は、同被告人にかかる昭和三八年九月一一日付起訴の公訴事実(昭和四〇年二月一七日訴因変更したもの)につき

(一)  被告人南は、公有水面埋立法による埋立の免許を受けた東京市の埋立権を承継した東京都より残土投棄の承認を受けた株式会社平和島の下請として小島興業社の名義により実質的には同被告人において昭和三七年五月初旬頃一部区域の埋立工事を終了し、完了部分の引渡があつた後、同月二〇日頃右小島興業社名義で都に対し、本件土地を含む当時水没中の埋立予定部分の工事続行の承認申請をしたが、その承認を受けずに、以後残土投棄を行なつていたものであるところ、同三八年一月都職員が本件を覚知するまでの間都の担当職員から特段の異議等が述べられておらず、同被告人としては従来からの慣行等から都の承認のあることを予想(被害者の承諾の推定の下に)し、その予想に基づいて埋立権者たる都の占有と競合して同土地を工事続行に必要な限りで管理占有していたもので、客観的には事務管理であるから、侵奪に当らず、

(二)  また、同被告人は、本件所為の何れの場合にも「工事期間中」とか「都に返すまで。」とか「都が返せといつたときは何時でも返す。」とかいうことを必ず説明し、それを前提として、期間は一年又は二年とし、さらに番小屋程度のものしか建ててはいけないといつて尹及び金に貸与したものであつて、同被告人としては、自己の従来の支配の範囲内での支配を尹、金に許したに過ぎないものであるから、侵奪とはいえず、

(三)  同被告人は、本件土地が都において権利を有するものであり、工事完成の暁には都に引き渡す土地であるとの認識に基づき、それまでは自己が責任を以て管理すべき土地であり、自己の責任において都に迷惑のかからない限度での使用なら許されると判断してこれを貸与したものであるから、違法の認識は勿論、不動産侵奪の構成要件事実の認識もなかつたもので不動産侵奪の故意を欠く

と主張するので、当裁判所の判断を示す。

関係証拠を総合すれば、判示第一のように、東京市は、昭和一三年一一月八日東京府知事から江東区南砂町四丁目地先国鉄越中島線両側一四、三六三坪五合七勺につき、公有水面埋立法に基づく公有水面埋立免許を受け、これを承継した東京都において埋立工事を継続実施し、一応工事を終えたが、終戦後一部の土砂流失等により同三七年二月都が出願人株式会社平和島に対し残土投棄の承認を与え、同社の下請として前記小島興業社が事実上残土投棄を行ない、同年五月上旬頃一応右作業は完了し、造成された埋立地は判示第一のように都に引き渡されたのであるが、当時都としては余剰残土の多い実状から残土投棄の承認を与えて埋立をさせていたことが認められるのであつて、この承認を得ない限り、ほしいままの残土投棄は無効というべく、この承認を受けない者が無断で残土投棄を行ないそれによつて造成された土地を使用等することは許されないものであるところ、同被告人が同月下旬頃小島興業社の名を以てなした残土投棄申請に対する都の却下処分が同被告人に送達されたか否かは明確を欠くとしても、右申請に対する承認がなされなかつたことは明白に認められるのであり、同被告人もまたその承認を受けていないことを承知していたことも十分認められるのであるから、同被告人が同年五月頃以降都の承認を受けないまま将来承認があるであろうと勝手に推量して行なつた残土投棄は無効というべきものであり、前記東京府知事より右埋立免許を与えられた際の命令書第七条の「埋立地ニ関スル権利ノ設定又ハ譲渡ニ付テハ東京府知事ノ許可ヲ受クヘシ」との制約を受けている都において、同被告人の独断の残土投棄を知つていたらこれを承諾していたであろうという事情は毫末も認められないのみならず(この認定に反する被告人南の供述記載は採用しない。却つて同年六月頃に同被告人の申請を許可する処分をしたことが認められる。)、前記の都に引き渡された埋立地及びその後ほしいままに埋め立てた土地の一部を同判示のように尹及び金に賃貸して自己のため多額の賃料を徴していた事跡に鑑みれば、同被告人が都のために事務の管理をしていたと認めることはできず、

被告人南が都の承認を受けなければ残土投棄をなしえないことを熟知していたことは、同被告人が同年五月下旬頃前記のように残土投棄の承認方を出願した一事によつても認められ、しかもその承認を受けていないことを承知していたことも前叙のとおりであるから、同被告人が本件各土地を管理、使用する権限のないことを認識していたことは十分認められるのであつて、かくの如く本件各土地につき何らの権限を有しない同被告人が、あえて、埋立権者たる都の意思に基づかずに、自ら所有者として振舞う意思をもつて、尹及び金と判示第一のように共謀の上、同人らと各賃貸借契約を締結し、それぞれバリケードを構築し、建物を建て、スクラツプ等を搬入した以上、積極的、かつ、新たに同土地に対する都の占有を排除し、これを同被告人らの支配下に移したものというべく、たとえ同弁護人ら主張の如く、右賃貸借に一定の期間を限つたことが認められても、不法領得の意思は、何も永久的に物の経済的利益を保持する意思であることを必要としないのであるから、同判示各罪の成立に消長を来たすものではなく、同被告人の本件所為が侵奪に当らないとの主張及び本件不動産侵奪の故意を欠くとの主張は、それぞれ理由がなく、

結局同弁護人らの右各主張は、採用することができないものである。

(法律の適用)

被告人南の判示第一の各所為は、各刑法第二三五条ノ二、第六〇条に、判示第二の各所為、被告人田上の判示第二の竹垣光敬、内海寿克、三輪文則、小川一之に対する各傷害の所為、被告人堀の判示第二の各所為(同被告人については、同判示各被害者の受けた傷害全部についての刑事責任を認める。)、被告人内山の判示第二の各所為、被告人鈴木の判示第二、第三の各所為は、各刑法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので、各傷害罪につき所定刑中各懲役刑を選択すべきところ、被告人南には前示(一)(二)の各前科があるから同被告人の判示第一の各罪につき各刑法第五六条第一項、第五九条、第五七条を、又同被告人には前示(二)の前科があるから同被告人の判示第二の各罪につき各同法第五六条第一項、第五七条を各適用してそれぞれ累犯加重をし、被告人田上には前示(1)ないし(3)の前科があるから、同被告人の前記各傷害罪につき各同法第五六条第一項、第五七条を各適用して各累犯加重をし、各被告人の以上の各罪は、各同法第四五条前段の併合罪であるから、各同法第四七条本文、第一〇条により、被告人南については犯情の最も重い判示第一(一)の罪の刑に、被告人田上については犯情の最も重い内海寿克に対する傷害罪の刑に、その余の被告人については各犯情の最も重い畠山利保に対する傷害罪の刑に、被告人南、同田上については各同法第一四条の制限に従い、それぞれ併合罪加重をした刑期の各範囲内で、各被告人を主文第一項ないし第五項の各刑に処し、各未決勾留日数の本刑算入につき各同法第二一条を、被告人鈴木に対する刑の執行猶予につき同法第二五条第一項を、付保護観察につき同法第二五条ノ二第一項前段を、訴訟費用の負担につき各刑事訴訟法第一八一条第一項本文を、被告人南、同内山に訴訟費用を負担させない点につき各同条項但書を各適用して、主文第六項ないし第一〇項のとおり各定める。

(量刑の事情)

被告人南は、正規の手続により都から残土投棄の承認を受けた株式会社平和島の下請として、小島興業社名義により残土投棄を実施し、予定の工事を了して判示埋立地が都に引き渡された後も、余勢を駆り都の承認を受けないのにあえて残土投棄を続行し、自己に利益を得る目的で判示第一のように尹及び金に判示土地を賃貸占有させてこれを侵奪し、都において公共の用に供すべき土地の利用を妨害したもので、その責任は決して軽いものとはいい難く、同事件により昭和三八年九月一一日勾留のまま起訴され同年一〇月二五日保釈により出所中、さらに判示第二の各犯行に及んだものであるが、同犯行は執拗、陰険であるばかりか、被害者に与えた負傷は軽微とはいえないものもあり、同犯行に際し、同被告人は主導的立場に立つていたと思われる点も認められ、同被告人には前示前科のほか昭和二三年より同三六年にかけて公務執行妨害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、暴行、建造物侵入、住居侵入、恐喝、器物毀棄、職業安定法違反、脅迫、傷害各罪により四回懲役刑、三回罰金刑に処せられており、その犯罪常習性は極めて濃厚と認められ、

その余の各被告人の判示第二の犯行態様も途中から加功した被告人田上を除いては甲乙つけ難い悪質なものであると認められるうえ、

被告人田上は、少年時代に非行を重ね、二度も少年院に送致されたのにかかわらず前示前科を重ね、さらに判示第二の所為を敢行し、

被告人堀は、少年時代に非違を累行し、保護処分を受けた後、同三八年四月六日墨田簡易裁判所で賭博罪により罰金五、〇〇〇円に、同三九年五月七日東京地方裁判所で住居侵入、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反各罪により懲役一年、四年間執行猶予、付保護観察に処せられながら行状を慎まず、幾許もなく判示第二の犯行を敢えてし、

被告人鈴木は、少年時代の数次の非行により保護観察、少年院送致各決定を受け矯正教育を受けながら、判示第三、第二の各犯行に及んだもので、右各被告人の犯罪的危険性はかなり強いと認められ、

被告人内山には前科非行前歴は認められないけれども、少年時代に親許を離れ、職を転々した後定職に就かず徒食し、住居も不安定であるうえ、信頼すべき監護者もなかつたことが認められ、いまだ全く損害賠償をしておらず、

さらに、前掲各証拠のほか、若干の証人の言動に鑑みれば、被告人らの日常生活の必ずしも芳しいといえない点も推察できるのであつて、各被告人の刑事責任は決してゆるがせにすることはできない。

ただ他面において、被告人南の判示第一の無法な所為によるとはいえ、ある程度の埋立地が造成された客観的事実は否定できず都の担当部局の手続に迅速的確を欠くものがあつたため本件の拡大に拍車を駆けたと思われる点が認められ、現在大部分の土地は都に明け渡されたこと、判示第二の被害者のうちの若干名及び判示第三の被害者には責められるべき点のあつたことが認められること、被告人堀は内妻らに引き止められて幸いにも判示第二のタクシー附近における犯行を分担しなかつたこと、各被告人の家庭事情に憫諒すべき点が認められること、被告人鈴木、同内山には前科がないこと、被告人鈴木は現在工務店に人夫としてまじめに稼働しているうえ、各被害者に損害賠償をして示談していること、被告人南、同田上は一部被害者に損害賠償をして示談していること、被告人堀の父親は、一部被害者に慰謝の誠意を披瀝して示談が成立していること、被告人堀、同鈴木、同内山はまだ年若いこと等各被告人にとつて有利な事情は、十分斟酌されなければならない。

当裁判所は、以上のような被告人らにとつて有利不利一切の事情を総合考慮して主文の各刑を量定すべきものと認める。

なお、当裁判所の体験したところ等によれば、少年時代の非行により少年院送致決定を受けた者のうち、退院後罪を犯し、情状により保護観察付刑執行猶予に処せられた者は、一〇〇パーセント近く執行猶予中再度罪を犯し実刑に処せられているので、被告人鈴木の更生については特に危惧を懐くのであるが、犯罪後の情状等前叙の事由に照らし、今回に限つて主文の処分を定めたものである。被告人鈴木は、過去を十分反省して謹慎自戒を旨とし、善良な市民として更生の努力を続けるよう厳に戒めておく。

そこで主文のとおり判決する。

(裁判官 櫛淵理)

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